映画というテクノロジー経験(視覚文化叢書) [全集叢書]

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映画というテクノロジー経験(視覚文化叢書) [全集叢書]

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出版社:青弓社
販売開始日: 2010/11/20
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映画というテクノロジー経験(視覚文化叢書) [全集叢書] の 商品概要

  • 要旨(「BOOK」データベースより)

    誕生から現在まで私たちを魅了し続けている映画。しかし、映画はもはや単にスペクタクルな娯楽としてだらしなく消費されて閉塞状況にある。その現状を打破するために、リュミエール映画に触覚的経験を、山中貞雄にテクノロジーのリズムを、D・W・グリフィスにフィクションの力を、小津安二郎に時間的想像力を見出すことで、映画に伏在する革命的な可能性を解放する。
  • 目次

    はじめに

    第1部 リュミエール映画の考古学

    第1章 リュミエール映画の考古学――「自生性」の発見
     1 空虚な空間
     2 リュミエール作品の考古学
     3 失認症としての映画的視覚
     4 意味の偽装

    第2章 リュミエール映画の神話学1――『列車の到着』の神話学
     1 起源の神話
     2 『列車の到着』神話
     3 鉄道恐怖症
     4 エンターテインメントとしての鉄道恐怖

    第3章 リュミエール映画の神話学2――触覚的経験としての映画
     1 観客の熱狂
     2 風・土煙・水
     3 カメラの視線
     4 失認症的視覚と触覚的光景
     5 再び『列車の到着』へ

    第4章 リュミエール映画の考古学・再考──リュミエールと宮崎駿の「細部」
     1 リュミエールの細部
     2 宮崎駿の細部
     3 時間的な細部

    第2部 テクノロジー、身体、古典映画

    第5章 テクノロジー経験としての映画──戦争、全体主義、そして生命のリズム
     1 テクノロジーと「経験の貧困」
     2 「経験の貧困」としてのチャップリン
     3 リーフェンシュタール、あるいは「鎧としての身体」
     4 テクノロジーの遊戯としての映画

    第6章 テクノロジーのリズムと物語映画――山中貞雄、マキノ雅弘、ハワード・ホークスをめぐって
     1 狂った?機械と初期喜劇映画
     2 韻律的な物語映画としての山中貞雄
     3 早撮り、ナカヌキ、そして機械的リズム
     4 マキノ雅弘あるいはダンスする映画
     5 チーム・プレイのドキュメント

    第7章 アニメーションというテクノロジー──宮崎駿をめぐって
     1 宮崎駿における「表現」と「思想」
     2 「植物に覆われた建物」というイメージ
     3 アニメーションという「機械」をめぐる思想
     4 消費としてのアニメーション

    第3部 映画におけるフィクション

    第8章 検閲の誕生──大正期の警察と活動写真
     1 活動写真興行取締規則に関する検討
     2 ライヴ・パフォーマンスとしての映画
     3 映画館という猥雑な空間
     4 不可視の権力

    第9章 フィクション映画の「社会性」とは何か──D・W・グリフィスをめぐって
     1 『国民の創生』をめぐる二つの言説
     2 フィクション映画の起源
     3 フィクションを捉え損ねる言説
     4 フィクションの社会性

    第4部 時間的想像力の可能性

    第10章 映画、時間、小津
     1 主題論的な体系と説話論的な構造
     2 「何かが過ぎ去ってしまった」という時間感覚
     3 運動イメージから時間イメージへ

    第11章 記憶と忘却の経験としての映画
     1 映画を分析するという錯覚
     2 映画という記憶のたよりなさ
     3 映画を想起するという快楽

    第12章 レイアウトとしての映画
     1 『地獄の黙示録』と主題論的分析
     2 プロットと時間の多層的経験
     3 『黄泉がえり』と過去の可能性を開くこと

    あとがき
    索引
  • 内容紹介

    映画はいまや単にスペクタクルな娯楽としてだらしなく消費されて閉塞状況にある。その現状を打破するために、リュミエール、山中貞雄、グリフィス、小津安二郎などの映画に身体感覚や時間的想像力を見いだし、映画がもつ革命的な可能性を解放する。
  • 著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    長谷 正人(ハセ マサト)
    1959年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専攻は映像文化論、コミュニケーション論、文化社会学
  • 著者について

    長谷 正人 (ハセ マサト)
    1959年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専攻は映像文化論、コミュニケーション論、文化社会学。著書に『映像という神秘と快楽』(以文社)、『悪循環の現象学』(ハーベスト社)、共編著に『文化社会学入門』(ミネルヴァ書房)、『コミュニケーションの社会学』(有斐閣)、『テレビだョ!全員集合』『映画の政治学』(ともに青弓社)、共編訳書に『アンチ・スペクタクル』(東京大学出版会)など。

映画というテクノロジー経験(視覚文化叢書) [全集叢書] の商品スペック

商品仕様
出版社名:青弓社
著者名:長谷 正人(著)
発行年月日:2010/11/22
ISBN-10:4787272942
ISBN-13:9784787272942
判型:A5
発売社名:青弓社
対象:教養
発行形態:全集叢書
内容:演劇・映画
言語:日本語
ページ数:258ページ
縦:22cm
横:16cm
厚さ:2cm
重量:500g
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