"他者"としての古典―中世禅林詩学論攷(研究叢書) [全集叢書]
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"他者"としての古典―中世禅林詩学論攷(研究叢書) [全集叢書]

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出版社:和泉書院
販売開始日: 2015/11/12
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"他者"としての古典―中世禅林詩学論攷(研究叢書) の 商品概要

  • 要旨(「BOOK」データベースより)

    中世禅僧が詩を作るに至った理由を、仏教の言語理論に基づいて分析。併せて、歌論・能楽論との交叉関係を視野に入れ、中世の文藝理論及び古典論一般へと展開し、古典リテラシーが主体を公共化させる文化装置として働いていたことを指摘する。また、古典文学研究者という主体の歴史的構築性を問い糾すと共に、古典を学ぶ意義について再考することの必要性を説く。
  • 目次

    序文 石川 一
    凡例

    方法序説 禅僧はなぜ詩を作ったのか―問いを開くための「歴史」(学)的諸省察―
    1 序
    2 リテラシー選良(エリート)としての禅僧
     「漢字」という技術(テクノロジー)の身体への埋め込み(インストール)
     リテラシーの「中世」と「近代」
    3 儒学と仏学の(再)雑婚(ハイブリツド)化
     儒者の禅林への流入
    4 中華グローバリゼーションとローカリティの生成
     日本禅林の異郷的‐脱土着(トランスローカル)的風景
     グローバリゼーションとしての戦争
     〝日本の原郷としての禅〟という歴史的倒錯
     書籍及び出版技術の輸入と伝播
    5 高等研究教育機関としての禅林
     組織及び人事制度
     僧階と職掌
     禅僧の初等教育カリキュラム(学習課程)
     「出世」への階梯
     禅林に産出されるテクストの諸形態
    6 「五山文学」に対する知的関心の形成過程とその前提的偏見―戦後「国民文学論」による「階級」の克服という歴史的操作―
     排除/包摂される漢文
     民族と階級と文学
     文壇文学と大衆文学の乖離
     なぜ統合されねばならないのか―「アメリカ帝国主義」による「植民地化」という政治的文脈―
     言語の階級性と民族語
     知識人と民衆の乖離
     国民的歴史学運動
     啓蒙‐解放されるべきものとしての民衆
     「外」から「下」へ
     過去の讃美―発見された「民衆」―
     自己肯定の方法としての「民衆」の「文学」の肯定
     近代文学と古典文学の構造的分離
     「模倣」というヴィジョン
     「中国語」という不在(架空)の言語
    7 なぜわれわれは禅僧の詩作行為を〝不自然〟だと感じるのか
     禅僧の詩作行為に対する従来的評価
     詩禅一味論
     和歌即陀羅尼論
     パフォーマンスとしての禅籍
     研究主体の意識下に潜在する宗教的信念
     言語の〈外部〉へ/から

    Ⅰ 禅において言語とは何か―「詩禅一味」言説を可能にする地平―
    1 緒言
     「詩禅一味」言説について考えるための予備的省察
    2 言語×定式=苦しみ
     言語が現実を作り出す
     語/〈義〉
     苦悩はどこからやってくるのか
     言語の定式化→苦しみの定式化
     意味の交換/生産
    3 二元論でもなく/あり、一元論でもなく/あり……
     此岸と〈彼岸〉の関係
     絶対矛盾構造の〈中間〉
    4 禅における〈詩〉の生成原理
     〈禅〉とは何か
     安定化に対する抵抗

    Ⅱ 中世禅林詩学における言語(の〈外部〉〔彼岸〕)への視座―言語と〈心〉の不均衡な呼応関係―
    1 緒言
    2 〈外部〉論の不可能性
    3 〈語りえぬもの〉を語らないことは可能か
    4 内部と〈外部〉の不均衡な呼応関係
    5 秘匿的に遍在する〈心〉

    Ⅲ 〈活句〉考―中世禅林詩学における方法論的公準の不/可能性―
    1 発端
    2 なぜ禅僧の言葉は奇抜なのか
     禅の言語観
     驚き
      奇
    3 なぜ禅僧の言葉は難解なのか
     過剰な変化(奇抜化)に対する排除機制
     古典の賦活
    4 変化の詩学
     〈意〉の外部性
     方法論の不断的変化
     句に幽在する〈活性〉

    Ⅳ 詩を詠むのは誰か―中世禅林詩学における「脱創造」(décréation)という〈創造〉の機制―
    1 序
    2 我と〈渠〉の不均衡な呼応関係
    3 「我」の完全なる無能性
    4 「多聞」という生の相貌
    5 〈他者〉の流出

    Ⅴ 非‐人称(変身)の詩学(ⅰ)―詩論/歌論/能楽論の交叉する(非)場処―
    1 序
    2 詩人の仮面‐人格(ペルソナ)―「ナリカワル」詩人―
    3 メタノエシス的原理としての〈心〉
      言語の/という仮面(ペルソナ)
        メタノエシス的原理
        能作の現前不可能性と時間論
        自律性と他律性
        心詞論の誤読蓋然性

    Ⅵ 非‐人称(変身)の詩学(ⅱ)―〈我(わたし)〉が既に死んでいるということ―
    1 序
    2 「我」ならざる〈我〉
     古典という装置と公共的自己の制作
     聞くこと
    3 死線の彼岸に詩(うた)う無響の声
     夢と夜と死と
     複式夢幻能という装置
     逆修と梓弓―亡名者の共同体―
     孤独な共生
    4 妙という裂け目
    5 歴史化された名
     〈作者〉と「作者」

    Ⅶ 法の〈外〉へ/から―〈幼児性(インファンティア)〉(infanzia)への(或いは、としての)眼差し―
    1 序
    2 法執行=審判の恣意性―法の〈外〉とは―
    3 〈幼児性〉と信じること
    4 絶対的に〈正〉であること

    Ⅷ 漂泊する規範―「五山文学の母体」を語りなおす―
    1 序
    2 「五山文学の母体」―古林清茂と金剛幢下―
    3 正符号(+)としての「拙」
    4 「宋末」という転回点
    5 発見された先駆、ならびに「巧」の復権
    6 無視‐隠蔽されたテクスト
    7 「近代」の宗教言説の中で
     「玉村竹二」という言説の結節点を問う

    〔補論〕南宋‐元における詩学をめぐる言説編制
    1 序
    2 宋代における詩学の変遷
    3 南宋末期の文学現象
     古体派と近体派の二極分裂構造
     道学系儒者のリテラシー
     科挙と道学と詩学と
     詩学の専門化と商品化
     浙東地域における文学復興運動
     洛学起こりて文字壊(やぶ)る
     葉適とその門下におけるリテラシーへの眼差し
    4 浙閩地域における「唐律」の復興について
     実態としての晩唐体の学習
     五言律詩への偏向
     模範としての賈島・姚合
     理想としての杜甫
     江湖詩壇に響く不協和音

    Ⅸ 「漢字文化圏」の解体‐再構築―空間の(想像的)透明化によって消去されたもの―
    1 前言
    2 「文言」は「中国語」か
    3 不均質な音声空間
     「中国語」の創設
    4 雑音空間としての禅林
     不透明な文字
     出身地別のグループ編制
    5 透明化された空間
    6 小結

    Ⅹ 文学現象における雅/俗という二分法の機制について―讃美と貶価の力学による空間編制―
    1 前言
    2 「俗」(ローカリティ)の生成と排除の規制
     政治学politicsとしての詩学
     「俗」の混淆―俗が俗であることはどのような視線の中で開かれるのか―
     グローバル・フォーマット=「文言」によるローカリティ=「俗」の生成
     排除による空間編制
     古典への讃美
    3 「俗」への讃美、声への回帰
     文字/古典への批判、自然の生成
     「雅」へと吸収される「俗」
     「雅」性を横領する「俗」
    4 小結

    結びに代えて― 〈他者〉としての古典―
    1 〈他者〉を「理解する」ことの不可能性、不可避性、そして原‐暴力性
     〈他者〉としての〈我〉
    2 古典の拡張と消失
     大学の量的拡張=大衆化
     大きな物語の失墜
     大衆としての科学者
     古典とは何か
     専門の細分化
     近代化=合理化過程の内部に埋め込まれた文学研究
     カノンの解体
    3 「日本古典文学研究」という装置に附帯する二つのコンプレックス
     文学研究における「鑑賞」の位置
     実証主義は実証的か?
     文学不在というコンプレックスを払拭するために
    4 過去のテクストを読むという行為に附随するオリエンタリズム―〈他者〉の  「他者」化による自己の「理性的主体」化―
     分析主体‐理性的主体‐近代的主体の製造工場としての大学
     「近代人」という知の欺瞞
    5 「近代」は到来したのか―理性/啓蒙から漏出する「ロマン的なるもの」―
     時間の距離化
     ロマン主義と受動性
     被植民者による日本古典文学への視線
     国文学ファシスト
     啓蒙主義とロマン主義の同居
    6 戦前になぜ「古典」が求められたのか―欠如としての「日本的なるもの」―
     古典の永遠性‐不易性という言説の/による飛躍
     反西洋‐反近代としての「日本への回帰」
     知識人の西洋‐英語コンプレックス
     国文学者のルサンチマン
     自己を超越するものを求めて
     古典の最終原理としての「日本的なるもの」
    7 〈古典‐死者の声〉をいかにして聞くか―逆座の技法―
     方法としての視座の反転―自らを他者化すること―
     学ぶものであるために
     〈過去=到来せぬもの〉の声をいかに聞き、〈未来=到来せぬもの〉への責任にいかに応えるか

    あとがき

    索引
  • 著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    山藤 夏郎(サントウ ナツオ)
    1974年、沖縄県生まれ。1997年、広島大学総合科学部総合科学科地域文化コース日本研究講座卒業、2004年、広島大学大学院社会科学研究科(現、総合科学研究科)国際社会論専攻(日本社会研究)修了、博士(学術)。同年より、(台湾)南臺科技大學應用日語系/應用日語研究所助理教授(現職)。日本古典文学(中世漢文学)専攻
  • 出版社からのコメント

    中世禅僧が詩作した理由の分析から中世文藝理論及び古典論一般へと展開し、古典を学ぶ意義を再考することの必要性を説く注目の大著。
  • 内容紹介

    「禅僧はなぜ詩を作ったのか」という問の解明を目指す。仏教の言語理論に基づき、中世の文藝理論及び古典論一般へ展開する。古典を学ぶ意義を再考する必要性を説き、文学、歴史、思想史等に問題提起した注目の大著。
  • 著者について

    山藤 夏郎 (サントウ ナツオ)
    1974年、沖縄県生まれ。1997年、広島大学総合科学部総合科学科地域文化コース日本研究講座卒業、2004年、広島大学大学院社会科学研究科(現、総合科学研究科)国際社会論専攻(日本社会研究)修了、博士(学術)。同年より、(台湾)南臺科技大學應用日語系/應用日語研究所助理教授(現職)。日本古典文学(中世漢文学)専攻。

"他者"としての古典―中世禅林詩学論攷(研究叢書) の商品スペック

商品仕様
出版社名:和泉書院 ※出版地:大阪
著者名:山藤 夏郎(著)
発行年月日:2015/11/10
ISBN-10:4757607628
ISBN-13:9784757607620
判型:B5
対象:専門
発行形態:全集叢書
内容:日本文学評論・随筆
言語:日本語
ページ数:1116ページ
縦:22cm
横:17cm
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