大坂の陣全史―1598-1616 [単行本]
    • 大坂の陣全史―1598-1616 [単行本]

    • ¥3,520106 ゴールドポイント(3%還元)
    • 在庫あり2025年8月6日水曜日までヨドバシエクストリームサービス便(無料)がお届け
大坂の陣全史―1598-1616 [単行本]
画像にマウスを合わせると上部に表示
100000009003806517

大坂の陣全史―1598-1616 [単行本]



ゴールドポイントカード・プラスのクレジット決済で「書籍」を購入すると合計12%ゴールドポイント還元!合計12%還元書籍の購入はゴールドポイントカード・プラスのクレジット決済がお得です。
通常3%ゴールドポイント還元のところ、後日付与されるクレジット決済ポイント(1%)と特典ポイント(6%)、さらにご利用明細WEBチェックにご登録いただくと2%追加して合計12%ゴールドポイント還元!詳しくはこちら

  • 5.0
価格:¥3,520(税込)
ゴールドポイント:106 ゴールドポイント(3%還元)(¥106相当)
フォーマット:
お届け日:在庫あり今すぐのご注文で、2025年8月6日水曜日までヨドバシエクストリームサービス便(無料)がお届けします。届け先変更]詳しくはこちら
出版社:草思社
販売開始日: 2024/02/02
お取り扱い: のお取り扱い商品です。
ご確認事項:返品不可

カテゴリランキング

店舗受け取りが可能です
マルチメディアAkibaマルチメディア梅田マルチメディア博多にて24時間営業時間外でもお受け取りいただけるようになりました

大坂の陣全史―1598-1616 [単行本] の 商品概要

  • 要旨(「BOOK」データベースより)

    大坂冬の陣、夏の陣を経て、豊臣家は滅んだ。しかし家康は、関ヶ原合戦後も、豊臣家滅亡を企図してはいなかった。大坂の陣に至るまでの十数年、家康は何を考え、どう行動していたのか?かたや豊臣方は?―本書では、秀吉の最晩年から、関ヶ原合戦、方広寺鐘銘事件、大坂の陣前夜、冬の陣・夏の陣、戦後処理までの実態を、良質な一次史料と最新研究を用いて解明。今わかりうる大坂の陣のすべてをつまびらかにする。旧説の誤りを正す論考多数。
  • 目次

    はじめに

    第一章 豊臣秀頼の誕生と関ヶ原合戦

    実子に恵まれなかった豊臣秀吉
    豊臣か羽柴か
    秀次の経歴
    秀次の関白就任
    秀次の最期
    事件の経過
    石田三成が関与したのか
    秀頼誕生が原因だったのか
    その他の諸説
    幼い秀頼の周辺
    秀頼を気遣う秀吉
    次々と起請文を提出させる
    秀吉の最期
    秀吉死後の政局
    秀頼を支える体制
    上杉景勝の不穏な動き
    堀氏の讒言
    会津征討に向かった家康
    関ヶ原の戦いまでの経緯
    東軍の勝利

    第二章 関ヶ原合戦後の豊臣政権

    戦後処理の実態
    領知配分の難しさ
    領知宛行状がなかった理由
    困難だった領知配分
    徳川一門・譜代への対応
    豊臣秀頼に仕えた人々
    秀頼の残された所領
    征夷大将軍任官に就任した家康
    警戒された秀頼の関白職就任
    家康による関白就任阻止
    立場が逆転した家康と秀頼
    征夷大将軍を世襲した秀忠
    幕府による鉱山の掌握
    重要都市の支配
    京都所司代の設置と畿内の支配
    家康と朝廷との関係
    秀忠の将軍就任以降
    御前帳・国絵図の提出
    江戸城などの天下普請
    江戸城と城下の整備
    駿府城普請と大御所政治
    家康と諸大名との姻戚関係
    豊臣包囲網の形成
    諸大名の改易と配置
    家康の上洛
    二条城における家康と秀頼の面会
    起請文提出における秀頼の扱い
    二重公儀体制の提唱
    二重公儀体制の再検討
    二重公儀体制の有効性
    関ヶ原体制から江戸幕府へ
     
    第三章 方広寺鐘銘事件の経緯

    方広寺大仏殿とは
    通説による方広寺鐘銘事件
    大仏開眼供養会への難癖
    崇伝の要望
    強い不満を抱いた家康
    文英清韓とは
    問題となった「国家安康」
    清韓へ手を差し伸べた僧侶
    幕府の厳しい取り調べ
    煩悶する片桐且元
    且元が出した答え
    人質の供出

    第四章 大坂冬の陣の開戦前夜

    進む合戦の準備
    劣勢だった豊臣方
    豊臣方の臨戦態勢
    兵糧米の備蓄
    通行禁止の措置
    預物の探索
    牢人に頼った豊臣方
    将来の仕官を願った牢人衆
    牢人たちの置かれた事情
    牢人停止令の施行
    牢人取締令の発令
    その後の牢人たち
     
    第五章 豊臣方に集まった牢人たち

    さまざまな経歴の牢人たち
    九度山に幽閉された真田昌幸・信繁父子
    借金と病気に苦しんだ昌幸
    信繁の苦しい生活
    素顔の信繁
    昌幸が信繁に与えた作戦
    単なる荒唐無稽な逸話
    信繁の九度山脱出
    脱出法は荒唐無稽な逸話
    信繁が示された条件
    土佐の大名だった長宗我部盛親
    寺子屋を経営した仙石秀範
    黒田家旧臣の後藤又兵衛
    又兵衛の黒田家出奔
    土佐に逼塞していた毛利勝永
    諸国を放浪した塙直之
    主君との対立
    豪傑として名高い薄田兼相
    キリシタンだった明石掃部
    関ヶ原合戦以降の掃部
    そのほかの牢人衆
    織田有楽の子・頼長

    第六章 キリシタンや寺社の動き

    キリシタンたちの動向
    家康とキリスト教
    岡本大八事件の衝撃
    禁教令の発布
    幕府内における主導権争い
    米などの高騰
    軍令・軍法・禁制とは
    寺社の行った合戦への対応
    豊臣方か徳川方かで村落が分裂
    大道村の人々の意外な行動
    平野郷の対応

    第七章 着々と進む開戦準備

    豊臣方の主要メンバー
    家臣たちの事情
    豊臣方の戦闘準備
    徳川方の諸将たちの集結
    出陣における勝重の関与
    騒然とした人々
    家康・秀忠の出陣
    はじまった作戦行動
    豊臣方の作戦
    豊臣方と徳川方の考え
    家康、大坂へ
    万全だった徳川方
    森忠政の動き

    第八章 大坂冬の陣の開戦

    兵糧・軍費の支給
    士気が上がらない諸大名
    大名の多大な負担
    禁制の交付
    大坂方面に発給された禁制
    木津川口の戦い
    鴫野の戦い
    今福の戦い
    博労淵の戦い
    真田丸のこと
    真田丸の攻防
    十二月四日の真田丸の攻防
    信繁の周到な作戦
    真田方の大勝利
    軍法違反による敗北
    無謀だった前田勢の攻撃
    前田勢の軍法違反の影響
    諸書に見られる敗因
    井伊家の状況
    松平勢の無残な敗北
    なぜ真田丸は落城しなかったのか
    信繁の兄・信之と大坂冬の陣
    『真田三代記』が描く真田丸の攻防

    第九章 徳川方と豊臣方の和睦交渉

    編纂物から見た和睦の経過
    秀頼の和睦に対する意見
    豊臣方のゲリラ戦
    和睦交渉の経過
    朝廷の和睦の斡旋
    徳川方の新たな要求
    豊臣方の策謀
    追い詰められた豊臣方
    大坂城への激しい攻撃
    和睦交渉の再開
    新たな和睦の条件とは
    実行に移された埋め立て
    木村重成が示した心意気
    埋め立て問題の真相を探る
    埋め立ての経過
    真田丸の扱い
    信繁と信吉の対面
    信繁の心情を語る逸話
    大坂城に残った秀頼
    近づく合戦の再開
    さらに判明した内情
    窮地に陥った大野治長
    大坂夏の陣迫る
    落人・牢人対策の徹底
    信繁と又兵衛の激論
    大坂城から退去した織田有楽
    大野治長襲撃事件

    第十章 大坂夏の陣の開戦

    狂乱した人々
    信繁の不安な心情
    信繁の覚悟を示す書状
    兵庫・尼崎の重要性
    一揆勢の動き
    大坂夏の陣はじまる
    家康の出陣
    北山一揆の蜂起
    大和郡山・堺における戦い
    樫井の戦い
    塙直之の最期
    徳川家と豊臣家の軍事行動
    道明寺の戦いの経過
    又兵衛、兼相の最期
    その後の展開
    八尾・若江の戦いと木村重成の最期
    長宗我部盛親の最期
    天王寺・岡山の戦いのはじまり
    豊臣方の作戦
    信繁の提案した作戦
    家康危うし
    健闘した信繁と勝永
    信繁の最期
    混乱する大坂城内
    秀頼と淀殿の最期
    大助の最期
    信繁・大助の墓所

    第十一章 大坂夏の陣の戦後処理

    徳川家の平和と元和偃武
    徳川方諸将への恩賞配分
    豊臣一門の扱い
    美作森氏の戦後処理
    捕らえられた人々
    信繁の首実検
    そのほかの説
    『元和大坂役将士自筆軍功文書』の世界
    敵兵を助けた将兵
    首取状に見る戦いの現場
    金如鉄(脇田直賢)の場合
    首取りの作法
    人買い商人の暗躍
    高野山における落人探索
    三ヵ条の誓紙
    伊東長次のこと
    執拗に続いた高野山の探索
    畿内諸寺院と預物の探索
    人の往来の調査
    諸大名による落人探索
    島津氏らへの探索命令
    土佐藩などの対応
    徹底した落人狩り
    明石掃部の娘・レジナへの尋問
    『大坂濫妨人并落人改帳』に書かれたこと
    さまざまな事例
    『大坂濫妨人并落人改帳』の史料的性格
    どのような人々が捕らわれたのか
    大坂城復興への道のり
    その後の牢人たち
    出仕を許された牢人たち
    古参牢人と新参牢人
    信繁は生きていたのか?
    伊勢に参った信繁の代理人
    その後の経過
    紀伊に残る信繁生存説
    リチャード・コックスの記録
    薩摩に逃れた信繁・秀頼
    信じ難い逸話の数々
    大坂城落城後の宣教師
    宣教師らの深い洞察
    家康は豊臣家を滅ぼそうとしたのか
    終焉を迎えた戦国時代
    大坂夏の陣後の家康
    「武家諸法度」「禁中並公家諸法度」の制定
    家康の健康問題
    家康の最期
    神になった家康

    おわりに

    主要参考文献
  • 内容紹介

    家康は、いつ決断したのか?

    大坂冬の陣、夏の陣を経て、豊臣家は滅んだ。
    しかし家康は、関ヶ原合戦後も、豊臣家滅亡を企図してはいなかった。
    大坂の陣に至るまでの十数年、家康は何を考え、どう行動していたのか? 
    かたや豊臣方は?──
    本書では、秀吉の最晩年から、関ヶ原合戦、方広寺鐘銘事件、大坂の陣前夜、
    冬の陣・夏の陣、戦後処理までの実態を、良質な一次史料と最新研究を用いて解明。
    今わかりうる大坂の陣のすべてをつまびらかにする。
    旧説の誤りを正す論考多数。 

    【内容より】
    ●家康はなぜ、関ヶ原合戦後の十数年も間、豊臣家を生かし続けたのか?
    ●方広寺の鐘に刻まれた「国家安泰」に、家康呪詛の心はあったか?
    ●関ヶ原合戦後、九度山に蟄居していた真田父子に「打倒家康」の意志はなかった
    ●大坂の陣に、浪人衆・一揆勢・キリシタン・寺社・村々はどう関わったか?
    ●冬の陣後の、大坂城外堀・内堀の「埋め立て」は、豊臣方も了解済だった
    ●夏の陣後、幕府が執念を燃やした、「豊臣方の落人探索」
  • 著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    渡邊 大門(ワタナベ ダイモン)
    1967年、神奈川県生まれ。歴史学者。関西学院大学文学部史学科日本史学専攻卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
  • 著者について

    渡邊 大門 (ワタナベダイモン)
    渡邊 大門(わたなべ・だいもん)
    1967年、神奈川県生まれ。歴史学者。関西学院大学文学部史学科日本史学専攻卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。著書に『関ヶ原合戦全史 1582-1615』(草思社)、『光秀と信長 本能寺の変に黒幕はいたのか』『奪われた「三種の神器」 皇位継承の中世史』(以上、草思社文庫)、『誤解だらけの徳川家康』(幻冬舎新書)、『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』『戦国大名は経歴詐称する』(以上、柏書房)など。

大坂の陣全史―1598-1616 [単行本] の商品スペック

商品仕様
出版社名:草思社
著者名:渡邊 大門(著)
発行年月日:2024/02/07
ISBN-10:4794226780
ISBN-13:9784794226785
判型:B6
発売社名:草思社
対象:一般
発行形態:単行本
内容:日本歴史
言語:日本語
ページ数:512ページ
縦:20cm
他の草思社の書籍を探す

    草思社 大坂の陣全史―1598-1616 [単行本] に関するレビューとQ&A

    商品に関するご意見やご感想、購入者への質問をお待ちしています!