正法眼蔵 全 新講 第三巻 [全集叢書]
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正法眼蔵 全 新講 第三巻 [全集叢書]

南 直哉(著・文・その他)


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出版社:春秋社
販売開始日: 2026/07/21
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正法眼蔵 全 新講 第三巻 [全集叢書] の 商品概要

  • 目次

    前言 読みの四原則
    一における「実体」というアイデアについて
    二における「実体」の否定と「縁起」
    三における行為による存在の規定
    四における言語の作用について
    凡例

    正法眼蔵第十六 行持 上
     仏祖の大道、かならず無上の行持あり
     これによりて、仏仏祖祖、仏住し、仏非し、仏心し、仏成して
     われを見成する行持、いまの当隠に
     しかあればすなはち、一日の行持、これ諸仏の種子なり
     慈父大師釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して
     第八祖摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり
     如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし
     あるいは迦葉、頭陀行持のゆえに形体憔悴せり
     第十祖波栗湿縛尊者は、一生脇不至席なり
     脇尊者、生年八十垂捨家染衣
     この生しりがたし、生か、生にあらざるか、老か、老にあらざるか
     六祖は新州の樵夫なり、有識と称しがたし
     江西馬祖の、坐禅することは二十年なり
     雲巌和尚と道吾と、おなじく薬山に参学して
     雲居山弘覚大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天廚送食す
     百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより
     鏡清和尚、住院のとき、土地神、かつて師顔をみることえず
     後大潙和尚いはく、我二十年在潙山
     趙州観音院真際大師従諗和尚、とし六十一歳なりしに
     趙州の、趙州に住することは、八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり
     あるとき、衆にしめしていはく、你若一生不離叢林
     大梅山は慶元府にあり
     師の坐禅には、八寸の鉄塔一基を頂上におく
     かくのごとくして年月を経歴するに、塩官の会より一僧きたりて
     つひに僧に令して、師を請するに、出山せず
     あるとき、馬祖、ことさら僧をつかはしてとはしむ
     この因縁は、人天みなしれるところなり
     五祖の法演禅師いはく
     翌日に上堂して、衆にしめしていはく
     演和尚、あるときしめしていはく
     黄帝・堯・舜等は、俗なりといへども
     しかあればすなはち、塵労中人なほかくのごとし
     大白山宏智禅師正覚和尚の会に、護伽藍神いはく
     しるべし、かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず
     いま仏祖の大道を行持せんには、大隠・小隠を論ずることなく
     ただまさに、家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ
     大慈寰中禅師いはく、説得一丈、不如行取一尺
     洞山悟本大師道、説取行不得底、行取説不得底
     雲居山弘覚大師、この道を七通八達するにいはく
     古来の仏祖いひきたれることあり
     しかあれば、一日はおもかるべきなり
     しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん
     すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし
     仏祖も恩愛なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる
     南岳大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹渓に参じて、執侍すること十五秋なり
     香厳の智閑禅師は、大潙に耕道せしとき
     臨済院の慧照大師は、黄檗の嫡嗣なり
     師在黄檗、与黄檗栽杉松次
     唐宣宗皇帝は、憲宗皇帝第二の子なり
     穆宗は、長慶四年晏駕あり
     つひに父王の邦をはなれて、ひそかに香厳禅師の会に参じて
     のちに杭州塩官斉安国師の会にいたりて、書記に充するに
     武宗ののち、書記つひに還俗して即位す
     雪峰真覚大師義存和尚、かつて発心よりこのかた
     いま、有道の宗匠の会をのぞむに、真実に請参せんとするとき
     大善知識、かならず人をしる徳あれども

    正法眼蔵第十六 行持 下
     真丹初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり
     救迷情の自己なるがゆえに、驚疑なく、怖畏せず
     初祖、金陵にいたりて、梁武と相見するに、梁武とふ
     師は南天竺の刹利種なり、大国の皇子なり
     初祖は、釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣なり
     石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏
     かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯をほゆ
     この愚は、眼前の声色にくらきによりてなり
     いまだかくのごとくの聖君の化にあわざる百姓のともがらは
     かくのごときの辺地、かくのごときの卑賤の身命をもちながら
     しかあるに、初祖は南天竺国香至王の第三皇子なり
     初祖は、釈尊第二十八世の附法なり
     梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり
     また真丹国にも、祖師西来よりのち、経論に倚解して
     香厳禅師いはく、百計千方只為身、不知身是塚中塵
     いたづらなる小人と、広大深遠の仏法と、いづれのためにか身命をすつべき
     しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり
     いまの見仏聞法は、仏祖面面の行持よりきたれる慈恩なり
     西天竺国には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり
     このゆえに、寒苦をおづることなかれ
     真丹第二祖、大祖正宗普覚大師は、神鬼ともに嚮慕す
     この教をききて、祖、すなはち少室峰に参ず
     この夜、ねぶらず、坐せず、やすむことなし
     いまいふ古尚若此、我又何人を、晩進もわすれざるべきなり
     初祖あはれみて昧旦にとふ、汝久立雪中、当求何事
     しづかに観想すらくは、初祖いく千万の西来ありとも
     いはゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず
     世人のなさけある、金銀珍玩の蒙恵、なほ報謝す
     石頭大師は、草庵を大石にむすびて、石上に坐禅す
     第三十一祖大医禅師は、十四歳のそのかみ、三祖大師をみしより
     しかあればすなはち、四祖禅師は、身命を身命とせず
     高宗永徽辛亥歳閏九月四日、忽垂誡門人曰
     福州玄沙宗一大師、法名師備、福州閩県人也
     布衲芒履、食纔接気、常終日宴坐
     つひに象骨にのぼるにおよむで、すなはち師と同力締構するに
     長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり
     三十来年、かつて郷土にかへらず、親族にむかはず
     大潙山大円禅師は、百丈の授記より、直に潙山の峭絶にゆきて
     梵刹の現成を願せんにも、人情をめぐらすことなかれ
     潙山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり
     あはれむべし、正法伝持の嫡祖、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ
     この潙山の行持の道力化功によりて、風輪うごかず
     芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり
     你不見、隠山至死不肯見人
     山僧行業無取、忝主山門
     又況活計具足、風景不疎
     山僧今日、向諸人面前説家門
     你不見、達磨西来、到少室山下、面壁九年
     洪州江西開元寺大寂禅師、諱道一、漢州十方県人なり
     いかなるかこれ莫帰郷
     第三十二祖大満禅師は、黄梅人なり
     先師天童和尚は、越上人事なり
     しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、仏祖の行持をねがふべし
     又、不貪の利生あり、いかん
     先師は、十九歳より離郷尋師、辦道功夫すること、六十五載にいたりて
     衲子を教訓するにいはく、参禅学道は、第一有道心
     又いはく、参禅者身心脱落也
     先師、よのつねに普説す
     趙提挙は、嘉定聖主の胤孫なり
     提挙いはく、和尚、下官忝以皇帝陛下親族
     先師いはく、提挙聡明、照鑑山語、不勝皇恐
     かくのごとくいひて、すなはち請暇するに、提挙いはく
     たれか諸方にうけざる人あらん、壱万鋌の銀子
     先師の会に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは
     しづかにおもふべし、一生いくばくにあらず

    正法眼蔵第十七 恁麼
     雲居山弘覚大師は、洞山の嫡嗣なり
     この無上菩提のていたらくは、すなはち尽十方界も無上菩提の少許なり
     身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし
     なにをもてか恁麼人にてありとしる
     これただ仏量にて量すべからず、心量にて量すべからず
     古昔よりいひきたり、西天よりいひきたり
     このゆえに、もし、いかなるか諸仏成道の道理なる、と問著するにも
     しかあれども、恁麼会のみにして、さらに不恁麼会なきは
     もし人ありて恁麼とはん、空と地と、あひさることいくばくぞ
     第十七代の祖師、僧伽難提尊者、ちなみに伽耶舎多、これ法嗣なり
     これは、風の鳴にあらざるところに、我心鳴を学す
     しかあるを、仏道の嫡嗣に学しきたれるには
     第三十三祖大鑑禅師、未剃髪のとき、広州法性寺に宿するに
     いはゆる仁者心動の道をききて、すなはち仁者心動といはんとしては
     六祖のむかしは、新州の樵夫なり
     いはゆる智は、人に学せず、みづからおこすにあらず
     いふところは、仏法はいかにあることともしらず
     無智疑怪、即為永失といふ道あり
     恁麼人なるがゆえに、六祖も発明せり
     南岳山無際大師、ちなみに薬山とふ
     大師いはく、恁麼也不得、不恁麼也不得、恁麼不恁麼総不得
     曹渓山大鑑禅師、ちなみに南岳大慧禅師にしめすにいはく
  • 出版社からのコメント

    無常・無我・縁起から読み解くシリーズ。修行のあり方を説く「行持」上・下と、縁起する存在の仕方を説く「恁麼」の巻を収録。
  • 内容紹介

    無常・無我の立場から形而上学的・超越的存在な存在を認めず、存在を生成し行為からなる縁起と実体と錯覚させる言語という原則に基づいて、『正法眼蔵』75巻本+12巻本+「辦道話」など別攝5巻を新しく読み解く、画期的なシリーズ!

    「仏教の思想は「無常・無我・縁起」のアイデアを核心とする、と考える筆者の立場から導出された。したがって、私が「仏法」と言う時、それは四原則に基づく思想と実践の体系を意味する。ちなみに、本書の題名において「新講」と称するのは、講読の方法を予め提示することと、上述の四原則で全体を読み切る試みが、今のところ本書以外に無いからである。」(本書「前言 読みの四原則」より)

    第三巻は、修行のあり方を説く「行持」上・下と、縁起する存在の仕方を説く「恁麼」の巻を収録。
  • 著者について

    南 直哉 (ミナミ ジキサイ)
    1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店に勤務。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、大本山永平寺に入山。以後、約20年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代。
    著書に『語る禅僧』(ちくま文庫)、『日常生活のなかの禅』『『正法眼蔵』を読む――存在するとはどういうことか』(ともに講談社選書メチエ)、『「問い」から始まる仏教――私を探る自己との対話』(佼成出版社)、『老師と少年』(新潮文庫)、『超越と実存――「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)、『仏教入門』(講談社現代新書)、『出家の覚悟――日本を救う仏教からのアプローチ』(スマラサーラ氏との共著、サンガ選書)、『人は死ぬから生きられる――脳科学者と禅僧の問答』(茂木健一郎氏との共著、新潮新書)など多数。

正法眼蔵 全 新講 第三巻 [全集叢書] の商品スペック

商品仕様
出版社名:春秋社
著者名:南 直哉(著・文・その他)
発行年月日:2026/07/21
ISBN-13:9784393152355
判型:A5
対象:専門
発行形態:全集叢書
内容:仏教
言語:日本語
ページ数:308ページ
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